今回は完全なる妄想記事です。
私が思っている事を記事に認めようと思います。
きっかけはモータースポーツ
なぜこのネタを思いついたかというと、昔からモータースポーツが好きでした。
具体的にはF1、MotoGPあたりですね。
そんな中日本人選手も参戦していたのですが、中々勝つことが出来ません。
勝のは今のF1だとハミルトン、ベッテル、フェルスタッペンら。
MotoGPだとマルケス、ドヴィツィオーゾ,ビニャーレスあたりでしょうか。
モータースポーツと言われてますから一種のスポーツで参加する人はアスリートです。
例えば100m走とかマラソンとかに比べて,モータースポーツはマシンを操縦するわけですからアスリートとしてはそれほど肉体的に特化しているわけではありません。
もちろん通常の人よりは鍛えられているとは思いますが。
何が言いたいかというと、モータースポーツはそれほど個人の肉体的な要素がパフォーマンスに影響を及ぼさないのではないかと思ったのです。
ここでは車やバイクのマシンの性能は敢えて触れません。
トッププロまで上り詰めたのなら、だいたいドライビングスキルも拮抗しているはずです。
肉体的にも互角、スキルも互角とすれば優劣を決めるのは何か。
それは
メンタルであると思います。
欧米人はアドレナリンを活用する方法を知っているのではないか
長年モータースポーツを見ていて思った事は、勝利するドライバーに共通したポイントがあります。
それはミスをしない事。
そして絶対にチャンスをモノにする事。
スポーツ全般に言えると思うのですが勝者はほとんどこの二つを確実に行っています。
ミスをしない事とは
勝負事において想像の世界でしかないですが、その環境はストレス、緊張感に包まれていると思います。
アスリートは本番に絶対的なパフォーマンスを行うべく血のにじむような努力、練習を行っている事でしょう。
本番に向けて100%のパフォーマンスを発揮できるように。
しかし、前述のとおり本番は緊張感に満ち溢れています。
練習と本番の差は何か。
それは緊張感であると言えます。
緊張がアドレナリンを呼び起こすのか、あるいは逆か定かではないですが勝負ごとに於いてアスリートはおそらく大量のアドレナリンを分泌する事でしょう。
欧米人はこのアドレナリンを上手く活用できる方法を身に着けているのではないかと私は以前から思ってました。
このアドレナリンをエキストラパワーとして有効に活用し、研ぎ澄まされた集中力を手に入れてミスをしない勝負が出来ると思います。
つまりアドレナリンを味方につける術を心得ているのでは無いかと思うのです。
我々日本人、アジア人はこの部分が足りないのでパフォーマンスに影響を及ぼしているのでは、と考えております。
アドレナリンを味方につけるか否かでパフォーマンスの成果が異なる。
と思う訳であります。
なぜ欧米人はアドレナリンを味方につけることが出来たのか
そもそも欧米人の定義も怪しいのですが、要はざっくりと外国人のイメージです。
で
なぜアドレナリンを活用出来るかというと、ココからが私の妄想なのですが
欧米人は
生きるか死ぬか、極限の状態でアドレナリンに活路を見出した
欧米人のルーツは狩猟民族でした。ていうかとします。
獲物はマンモスとか肉食獣のため強大にして強力です。
一歩判断を誤れば命を落とす事もあり得ましょう。
こういう極限状態の環境を何世代も送るうちにアドレナリンと共存する方法を身に着けた。
そう私は考えております。
誰か一人でも急所を突くことが出来れば狩りは成功する。
協調性も大事ですが、突出した自主性がもっと求められた。
集団より個人という考え方です。
変わってアジア人
個人技よりも集団性を求められた
農耕・採取民族をルーツとするアジア人。とする。
食うか食わずかという状況があったにせよ、狩猟民族にくらべ日常的に生命の危機たるストレスに晒される日々では無かった事でしょう。
つまりアドレナリンと接する機会が少なかったと予想。
農耕民族なので、個人技によるスタンドプレイは必要とされておりません。
あくまで集団としての和を重んじ、より協調性が求められた。
突出した個人より集団という考え方ですね。
ルーツの違いによるもの
どうでしょう。
我々のルーツの違いが、こういった違いを産んだと考えられないでしょうか。
何前年と繋ぎ紡がれるDNAがそう物語ってくれるとうれしいですが。
いい悪いという話では無いという事
どちらが優れている、劣っているという話では無くて培った環境により性質が異なったと見るべきだと思います。
片方の民族はアドレナリンを要す瞬発力に優れた民族で、もう片方は持久力のある継続性に優れた民族。
だから100m走とか短距離は欧米人が強くて、マラソンとか長距離は日本人が健闘している。
という事が一理あるかもしれません。