将来の事を考える
私の水槽では基本的に生体を入れる場合ペア以上を導入するようにしています。
それは可能性としてあわよくば繁殖できたらいいなというささやかな気持ちからです。
と同時に考えなくてはならない事があります。
仮にペアが出来て産卵して孵化した場合、どのような事になるのかを。
将来的に自らの手で始末せざるを得ない日がくるかも
1匹2匹増える程度であればたいした問題では無いのかもしれませんが、数が多くなると問題は異なってくると思います。
また奇形な個体が産まれたらどうするのか。
あまりに増えすぎた場合には水槽も増やさなくてはいけないし、繁殖がうまく行き過ぎた場合どこかの時点で自らの手を下し淘汰という手段を行わなくてはならない日が来るのかもしれません。
熱帯魚飼育の醍醐味である繁殖と淘汰は表裏一体で、飼育した時点から小さいながらも多くの命を手に掛ける責任を飼育者は追わなくてはならないという現実があります。
淘汰の方法
熱帯魚に関する事はこれでも色々調べていて、コケの対策、水草の育て方、サカナの餌、バクテリアの種類、フィルターの効率化等やるべき事、調べることは多岐に及びます。
一般的なごく浅い事であれば簡単に探しだす事が出来るのですが、少し専門的な事になるとなかなか情報は得られない。
その中で興味があったのは具体的に生体をどうやって淘汰しているのかという事。
ブリーダーであればおそらく相当数の個体を選別、淘汰を行っているはず。
しかしその淘汰の方法はあまり語られる事はない。
モラルの問題なのでしょうか。
手でつぶす、刃物をつかう、あるいは薬品をつかう・・・
最終的に始末するわけですから違いと言えば手段のみ。
この部分で罪悪感が沸かないのか。
あるいは淘汰に何の感情も抱かなくなったら。
生き物の死という事
ここでは生体の淘汰に是非をつけようとは思いませんし、そんな立場ではないので。
多くの一般の人は例えばスーパーで売られているサバを三枚におろすことに罪悪感を感じる人はいないと言っていいでしょう。
もう死んでるからね。
ただ釣り人や漁師さんはともかく、一般の人が生きたサバを自らの手で始末するのはなかなかの覚悟がいる行為だと思います。
ただ自分を納得させる言い分としてはこれから調理していただく訳だから申し訳ないという気持ちで納得することができる。
自ら生きる為に仕方がない行為とどこかで納得できるはず。
ただ熱帯魚の場合はどうだろう。
始末したとして食う訳では無い。
単に飼育者の都合のみで始末されるという事。
そこに意味があるのかと日々考えています。
自分は単純に綺麗な水槽と魚を眺めていたいという気持ちで熱帯魚を飼育していますが、いつか自らの手でサカナを始末しなくてはいけない局面が必ず出てくると思います。
来るべきその日とどう対峙するか、今から考えていこうと思います。